経営者を見た

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株式会社ノジマ 取締役 野島 亮司

元株式会社ノジマ取締役兼代表執行役副社長、元ニフティ株式会社代表取締役社長、株式会社セシール代表取締役会長、AXN株式会社・株式会社アニマックスブロードキャスト・ジャパン・株式会社キッズステーション代表取締役CEO
引用:https://championcup.nojima.co.jp/index.php?page=greeting

ノジマ社長の長男である亮司さん。子会社の管理部門の役員だった時に一緒に仕事をしていました。年齢も近かったこともあり、今思えば、気さくに話しかけていただいた印象です。結構ラフな性格なのか、色々エピソードがあります。武市の友人が横浜のクラブでファッションイベントがあり、だれか連れてきてほしいというので、ためしに、「りょうじさん一緒にいきますか?」と当日声かけたら、普通にきれくれました。一緒に2人で商談行く際に、「あ、ネクタイがない・・・」と言ったら、途中のお店でプレゼントで買ってあげるよと。結構いい面が多かったです。ご自宅にも招いていただいたことがあり、有名なノジマ社長のご自宅へ遊びにいったことがあります。お母さまも一緒にいたので、手料理から、昔話まで、楽しく過ごさせて頂きました。帰りも、お母さま運転でボロアパートまで送って頂きました。とても貴重な体験です。

株式会社ノジマ 代表執行役社長 野島廣司

新卒時にお世話になった株式会社ノジマ野島廣司さん。売上高1,000億円突破あたりで在籍していました。最終面接は社長自ら行っており、相模原が本社で面接をしたことを覚えています。必ず握手するのが特徴で、紳士的な方です。一番すごいと思ったのは、数千人覚えているのか?ってくらい名前を覚えています。もちろん、新人の僕の名前を1年後本社に行った際に普通に声をかけていただけました。社長含めた、経営会議、MD会議なども普通に参加できますし、意見も聞いていただけました。ノジマ自体はチャンスにあふれていた会社でした。入社1年半の僕が本社いって、通販の責任者に抜擢をしてもらうこともビックリしました。プレゼンはしましたが、今思い返しても、あの内容で、よく通ったなという感じです。やる気があるが優先順で高い結果だと思います。他にも早朝メンテナンスで朝6時にたまたま行ったら、普通に一番早く仕事をしていました。「武市、調子はどうだ~」「今月は厳しいけどがんばります~」「具体的には?どんな策がある?」といった会話はよく覚えています。20年たつと、あの言葉が、とても重要な意味があったんだと感じます。他にも携帯を片手に、「これからはパソコンがなくてって携帯だけで仕事できるようになるよ~」とか未来を当てていました。笑
ちなみに、横浜で飲み会があった際に、家が近いという理由で、社長専用のロールスロイス(運転手付き)でボロアパートまで送って頂いたことがあります。当然車内では仕事の質問の嵐でした。思い返すと新卒でチャンスを広げていただけたことに感謝です。

株式会社愛知イエローハット 代表 後藤誠博

愛知イエローハットの社長であり、法人窓口のトップだった後藤さん。見た目はこわそうですが、歳の離れた取引先の僕にやさしくして頂きました。その流れもあり、完全なるコネ入社で当時の中目黒の本社へ。本社役員の方に直接面談して、強引に入社までさせていただきました。完全にその方の力であり、自分には力がなかったわけですが、とても反省です。
会社を辞めてからも、連絡を何度か頂き、名古屋で2人で食事にいったのが最後です。バズストアのビジネスモデルを説明して、淡々と僕の話しを聞いていただき、がんばるように伝えてくれました。迷惑を何度もかけているのでずが、そういったことには触れずに、背中を押していただきました。人生の転機になった、お世話になった方です。

運送屋 津村親分

ウエアハウスの常連であるフリーのトラック運転手の津村親分。ある日、「たまにはうちで働きなよ」が始まりでした。日給にも惹かれたので、遊ぶお金欲しさにすぐ承諾。建設途中のマンションや、繁華街のクラブ、危ない現場にタイル、椅子等、何でも運びました。こんな力仕事、つらいよ~と思いきや、学生が終わるまでの付き合いになりました。「なんで力がなさそうな僕に声かけたんですか?」と聞いたら、パワーあるやつは周りに一杯いるから、それ以外のほうが面白そうだとおもったんだよね。コミニケーションとれるやつのほうが大事なもんだよと教えてもらったのはうれしかったです。
数々の現場の中で、とあるビルのオーナーさんと出会って、経営する台湾のすし屋に訪問するとか、自分の人生でもエピソードが豊富です。出会いや価値観をたくさん与えてくれる最高の親分でした。僕のことを半平太君(坂本竜馬の友達)やアトム君と呼びます。
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